★ 重要文化財「明治丸」の見学 -東京海洋大学越中島キャンパス- ★
重要文化財「明治丸」は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡回業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船です。
歴史的なエポックとしては明治8年の小笠原諸島の領有権問題での航海や明治9年の明治天皇の東北・北海道巡幸の際、青森から乗船されて函館を経由し、7月20日に横浜に安着されたロイヤル・シップです。
その後は燈台船を引退し、商船学校に係留練習船として譲渡されました。昭和53年には唯一の鉄船として重要文化財に指定され、貴重な歴史的遺産として保存されてきましたが、老朽化が進み、平成25年より大規模修復工事が行われました。平成27年3月に竣工し7月から一般公開されています。
その修復された美しい姿を見ようとクラブメンバー有志で見学に行ってきました。「明治丸」の見学には東京海洋大学OBの方々が懇切に説明をしてくれますので、ぜひ案内を依頼してください。また、「百周年記念資料館」には機関類、航海機器だけではなく、大成丸などの練習船、貨客船、商船、帆船などの模型が展示されています。なかでも籾山船舶模型製作所の「旧・海王丸」(縮尺1/100)は戦前の昭和5年に製作された貴重な帆船模型史料です。明治丸の詳細については下記のホームページをぜひご覧ください。(明治丸海事ミュージアムのパンフより部分転載)
重要文化財「明治丸」 URL=https://www.kaiyodai.ac.jp/overview/facilities/meijimaru.html
海洋工学部「明治丸」 URL=http://www.e.kaiyodai.ac.jp/facilities/meiji/index.htm
歴史的なエポックとしては明治8年の小笠原諸島の領有権問題での航海や明治9年の明治天皇の東北・北海道巡幸の際、青森から乗船されて函館を経由し、7月20日に横浜に安着されたロイヤル・シップです。
その後は燈台船を引退し、商船学校に係留練習船として譲渡されました。昭和53年には唯一の鉄船として重要文化財に指定され、貴重な歴史的遺産として保存されてきましたが、老朽化が進み、平成25年より大規模修復工事が行われました。平成27年3月に竣工し7月から一般公開されています。
その修復された美しい姿を見ようとクラブメンバー有志で見学に行ってきました。「明治丸」の見学には東京海洋大学OBの方々が懇切に説明をしてくれますので、ぜひ案内を依頼してください。また、「百周年記念資料館」には機関類、航海機器だけではなく、大成丸などの練習船、貨客船、商船、帆船などの模型が展示されています。なかでも籾山船舶模型製作所の「旧・海王丸」(縮尺1/100)は戦前の昭和5年に製作された貴重な帆船模型史料です。明治丸の詳細については下記のホームページをぜひご覧ください。(明治丸海事ミュージアムのパンフより部分転載)
重要文化財「明治丸」 URL=https://www.kaiyodai.ac.jp/overview/facilities/meijimaru.html
海洋工学部「明治丸」 URL=http://www.e.kaiyodai.ac.jp/facilities/meiji/index.htm
東京海洋大学 明治丸海事ミュージアムのパンフレット |
当サイトの「お知らせ」ページ/「博物館・資料館」ページでも<東京で見られる保存帆船 -明治丸・雲鷹丸->のコンテンツを掲載しています。
キャンパス内から見た明治丸全景 | 相生橋から見た明治丸 | 東京海洋大学OBボランティアによる案内 |
ボランティアから貨物搬入口の説明を聞く | 船尾の唐草模様(アカンサス文様) | アカンサス文様の説明書(船内) |
船尾のサロン室の舷窓 | 船尾舷窓の文様入りガラス | 上甲板の船尾付近 |
ピンレールとロープ類 | シュラウドとラットライン(右舷側) | 船尾キャプスタン |
甲板材のジョグリング | 船内昇降口のセーラーズ・マット | 船尾の賓客サロン |
船室 | 船室と船尾サロンの説明を聞く | 明治天皇 御座所 |
船首側通路 | 船首の船員室 | 往時の木製ヤードの展示(船内) |
木製滑車の展示(船内) | 修復工事に使用された甲板用チーク材見本 | 甲板材張替え工事の説明書 |
今回の懇親旅行は幕末にアメリカの総領事館があり、また黒船でも有名な伊豆下田に行ってきました。この下田市は観光地として歴史的な遺産の保存に力を注いでおり、開国下田みなとハーバー&かじきミュージアム、下田開国博物館など、かつてより帆船などの模型の展示が多くなっており、模型好きにはとても楽しめるところになっています。展示模型のうち何点かは当クラブの会員が制作協力したものがあり、それらを見学することも今回の旅行の目的のひとつでした。
この小旅行を通して江戸幕府が何故遠い下田の地に米国総領事館を置いたのかその理由や唐人お吉の物語も知ることもできたことも大変勉強になりました。
最近のTV放送では幕末から明治にかけての番組があり、その中でも帆船模型が登場するシーンがあります。現在から150年前の時代ですが、そうした時代を様々な形で残された貴重な資料を通して窺い知ることの出来た旅でした。
《博物館・資料館などのリンク》
玉泉寺 初代アメリカ総領事館・ハリス記念館
道の駅「開国下田みなと」 ハーバー&かじきミュージアム
下田開国博物館(黒船来航記念館)
唐人お吉記念館 宝福寺(唐人お吉のお墓と龍馬飛翔の寺)
了仙寺 宝物館・黒船美術館(日米下田条約締結所)
長楽寺 宝物館(日露和親条約締結所)
黒船遊覧船 下田港内めぐり
この小旅行を通して江戸幕府が何故遠い下田の地に米国総領事館を置いたのかその理由や唐人お吉の物語も知ることもできたことも大変勉強になりました。
最近のTV放送では幕末から明治にかけての番組があり、その中でも帆船模型が登場するシーンがあります。現在から150年前の時代ですが、そうした時代を様々な形で残された貴重な資料を通して窺い知ることの出来た旅でした。
《博物館・資料館などのリンク》
玉泉寺 初代アメリカ総領事館・ハリス記念館
道の駅「開国下田みなと」 ハーバー&かじきミュージアム
下田開国博物館(黒船来航記念館)
唐人お吉記念館 宝福寺(唐人お吉のお墓と龍馬飛翔の寺)
了仙寺 宝物館・黒船美術館(日米下田条約締結所)
長楽寺 宝物館(日露和親条約締結所)
黒船遊覧船 下田港内めぐり
下田港内めぐり 遊覧汽船サスケハナ | 遊覧汽船客室内にある汽船サスケハナの模型 | 道の駅「開国下田みなと」4Fハーバー&かじきミュージアム |
下田へ来航したペリー艦隊の旗艦 ポーハタン号(1/80) | プチャーチンが下田へ来航した時の乗艦 ディアナ号(1/100) | 東京湾汽船の伊豆大島-下田航路の橘丸(1/80) |
中世 脇坂軍の安宅船模型(1/20) | 近世の千石船(初期の菱垣廻船型模型)(1/30) | カジキマグロの突きん棒漁のジオラマ模型 |
黒カジキの展示 | 初代アメリカ総領事館のあった玉泉寺 | アメリカ総領事旗掲揚地の記念碑 |
ハリス総領事が着任した時の乗艦サン・ジャシント号 | 玉泉寺境内での記念撮影 | 下田市内道路のマンホール蓋の黒船 |
下田開国博物館 入口 | ポーハタン号(縮尺 1/70) | ディアナ号 |
1739年下田沖へ来航したロシア調査艦 聖ガブリィル号 | 千石船の模型 | 伊豆急下田駅前の黒船 サスケハナ号 |
ニュージーランド旅行の最終日、オークランド市内のキー通り埠頭にある「ニュージーランド海洋博物館」を見学しました。
ニュージーランド島は1642年オランダ人探検家アベル・タスマンがヨーロッパ人として初めて「発見」した島として知られていますが、その後100年以上も経ってからイギリス人ジェームス・クック艦長がエンデバー号で1769-1770年に訪れた時に北島・中島・南島の探検調査を行い、島の地図を作成しました。クック艦長は第2次、第3次航海でもニュージーランドを訪れた記録が残されています。
この「ニュージーランド海洋博物館」はアメリカズカップに出場した実艇 NZL32 Blue Water Black Magic が展示されており、そのスケールと迫力にはとても圧倒されます。バラストに取り付けられたフィンを始めとしてそのスーパー・ハイテクの技術はアメリカズカップのマッチレースの様子が目に前に浮かぶようです。
チーム・ニュージーランドは1995年にアメリカの西海岸サンディエゴで開催されたアメリカズカップにチャレンジャーとして出場し優勝、2000年のオークランドでもカップ防衛を果たしました。2003年にはスイスのチーム・アリンギに敗れました。ニュージーランドは世界的なヨットレース大国としてその技術と実力が認められています。
展示室は大きく5つの区画に分かれており、マオリ族の大型航海カヌーや沿岸用のアウトリガー・カヌー、イギリスからの移民・植民時代の帆船、蒸気船時代などニュージーランドの歴史を知る上での貴重な資料が豊富に展示されています。
また、ヨットやボートの実物展示も数多くあり、とても楽しめるミュージアムです。なかなか行く機会の少ない海洋博物館ですが、その雰囲気をぜひホームページで味わってください。
《ニュージーランド海洋博物館関連のリンク》
NewZealand Maritime Museum(ニュージーランド海洋博物館)
AUCKLAND EXPLORE(オークランド エクスプローラ)セーリングとクルージング
トリップアドバイザー(旅の情報)
ニュージーランド島は1642年オランダ人探検家アベル・タスマンがヨーロッパ人として初めて「発見」した島として知られていますが、その後100年以上も経ってからイギリス人ジェームス・クック艦長がエンデバー号で1769-1770年に訪れた時に北島・中島・南島の探検調査を行い、島の地図を作成しました。クック艦長は第2次、第3次航海でもニュージーランドを訪れた記録が残されています。
この「ニュージーランド海洋博物館」はアメリカズカップに出場した実艇 NZL32 Blue Water Black Magic が展示されており、そのスケールと迫力にはとても圧倒されます。バラストに取り付けられたフィンを始めとしてそのスーパー・ハイテクの技術はアメリカズカップのマッチレースの様子が目に前に浮かぶようです。
チーム・ニュージーランドは1995年にアメリカの西海岸サンディエゴで開催されたアメリカズカップにチャレンジャーとして出場し優勝、2000年のオークランドでもカップ防衛を果たしました。2003年にはスイスのチーム・アリンギに敗れました。ニュージーランドは世界的なヨットレース大国としてその技術と実力が認められています。
展示室は大きく5つの区画に分かれており、マオリ族の大型航海カヌーや沿岸用のアウトリガー・カヌー、イギリスからの移民・植民時代の帆船、蒸気船時代などニュージーランドの歴史を知る上での貴重な資料が豊富に展示されています。
また、ヨットやボートの実物展示も数多くあり、とても楽しめるミュージアムです。なかなか行く機会の少ない海洋博物館ですが、その雰囲気をぜひホームページで味わってください。
《ニュージーランド海洋博物館関連のリンク》
NewZealand Maritime Museum(ニュージーランド海洋博物館)
AUCKLAND EXPLORE(オークランド エクスプローラ)セーリングとクルージング
トリップアドバイザー(旅の情報)
ニュージーランド海洋博物館正面とアメリカズカップ艇 | 大型航洋型カヌー(背面)と小型カヌー | 大型航洋型カヌーの模型(居住部がある) |
キャプテン・クック探検航海のエンデバー号模型 | 海軍士官制服とキャプテン・クック作成のNZ地図 | ニュージーランド沿岸交易船の帆船模型 |
アメリカズカップ出場艇 NZL32 Blue Water Black Magic | Black Magic の模型(2艇) | アメリカズカップ・トロフィー(複製?) |
数多く展示されている実物ヨット | REWA号の実物展示 | ミュージアム・ショップの天井に飾られた帆船凧 |
-オークランド港の風景から- | ||
デヴォンポートの丘から見るスカイ・タワー | 近郊の島へ航行するフェリー船 | 観光クルーズの帆船 |
観光クルーズのカタマラン(双胴)船 | 2000隻以上のヨット・ボートが停泊する大ハーバー | アメリカズカップのマッチレースを演ずる観光用ヨット |
沖縄には琉球王朝時代から現在までその技術を受け継いできたサバニやマーラン船などの伝統的な木造船が残っています。戦後のエンジン船の著しい普及によって一時はその伝統が失われかけていたようですが、うるま市のマーラン船の復元やサバニの愛好家の数の増加により、僅かながら増えてきているようです。
そんな中で実際のサバニやマーラン船を模型も含めてぜひ見て見たいと思い立ち、沖縄を旅しました。沖縄本部の海洋博公園内にある「海洋文化館」を手始めに、「今帰仁村歴史文化センター」、「うるま市立海の文化資料館」。「沖縄県立博物館」、「糸満海人工房・資料館」などの博物館、資料館を見学してきました。また、途中の読谷村漁港や与那城桃原漁港などにも立ち寄り、現役で漁に使われているエンジン付サバニや廃船寸前のものまで見て歩きました。
「サバニ」の名前の由来は諸説あるようですが、沖縄では「鮫」を「鱶(フカ)」とも言い、これをまた「鱶(サバ)」とも言ったそうです。「舟」を「ンニ」と呼び、鱶(サバ)漁をする舟(ンニ)なので「サバニ」となった説が有力なようです。かつてはとても盛んだった鱶漁からその舟の名前が付けられたのでしょう。
サバニは大きな丸太を刳りぬいて作った丸木舟が原型ですが、段々と良質な木材が手に入らなくなり、また材料の節約から板を縦方向に繋げて作る「ハギ舟」になったようです。これは沿岸漁業の「磯舟」にも同じことが言えます。
さらに戦前の物資不足から薄い板材を使用した「南洋ハギ」が考案されたようです。この「南洋ハギ」のサバニの製作には高度な技術が必要と言われていますが、船体の強度を増す技術はエンジンを載せたサバニの改造にも役立っているようです。
サバニの独特なフォルムはとても美しいものです。細長い船体と切りあがったナイフのような船首と逆三角形の船尾はとても魅惑的です。さらに側板材の描き出す曲線は快速で泳ぐ魚を連想させます。
船大工がサバニの建造する時には舟の幅が決まれば、あとはすべて船大工の頭の中に格納されている図面に従って墨付けするだけだそうです。糸満市を中心として僅かに残っている船大工たちの伝統技術や、またとても難しいサバニの操船技術がいつもでも続くことを願っています。
「サバニ」に関心のある方はぜひとも「糸満海人工房・資料館」を訪れて実際のサバニの肌に触れてください。木のぬくもりと潮の香りがきっとわかるはずです。
《博物館・資料館のリンク》
海洋文化館(海洋博公園)
うるま市立海の文化資料館
沖縄県立博物館・美術館
糸満海人工房・資料館
そんな中で実際のサバニやマーラン船を模型も含めてぜひ見て見たいと思い立ち、沖縄を旅しました。沖縄本部の海洋博公園内にある「海洋文化館」を手始めに、「今帰仁村歴史文化センター」、「うるま市立海の文化資料館」。「沖縄県立博物館」、「糸満海人工房・資料館」などの博物館、資料館を見学してきました。また、途中の読谷村漁港や与那城桃原漁港などにも立ち寄り、現役で漁に使われているエンジン付サバニや廃船寸前のものまで見て歩きました。
「サバニ」の名前の由来は諸説あるようですが、沖縄では「鮫」を「鱶(フカ)」とも言い、これをまた「鱶(サバ)」とも言ったそうです。「舟」を「ンニ」と呼び、鱶(サバ)漁をする舟(ンニ)なので「サバニ」となった説が有力なようです。かつてはとても盛んだった鱶漁からその舟の名前が付けられたのでしょう。
サバニは大きな丸太を刳りぬいて作った丸木舟が原型ですが、段々と良質な木材が手に入らなくなり、また材料の節約から板を縦方向に繋げて作る「ハギ舟」になったようです。これは沿岸漁業の「磯舟」にも同じことが言えます。
さらに戦前の物資不足から薄い板材を使用した「南洋ハギ」が考案されたようです。この「南洋ハギ」のサバニの製作には高度な技術が必要と言われていますが、船体の強度を増す技術はエンジンを載せたサバニの改造にも役立っているようです。
サバニの独特なフォルムはとても美しいものです。細長い船体と切りあがったナイフのような船首と逆三角形の船尾はとても魅惑的です。さらに側板材の描き出す曲線は快速で泳ぐ魚を連想させます。
船大工がサバニの建造する時には舟の幅が決まれば、あとはすべて船大工の頭の中に格納されている図面に従って墨付けするだけだそうです。糸満市を中心として僅かに残っている船大工たちの伝統技術や、またとても難しいサバニの操船技術がいつもでも続くことを願っています。
「サバニ」に関心のある方はぜひとも「糸満海人工房・資料館」を訪れて実際のサバニの肌に触れてください。木のぬくもりと潮の香りがきっとわかるはずです。
《博物館・資料館のリンク》
海洋文化館(海洋博公園)
うるま市立海の文化資料館
沖縄県立博物館・美術館
糸満海人工房・資料館
白石勝彦著「沖縄の舟 サバニ」 (サバニに関する資料は現在これだけしかない) |
帆掛けサバニの愛好家が増え、沖縄 各地で盛んにレースが行われている。 |
沖縄・うるま市で 「マーラン船」が復元されました <うるま市立海の文化資料館>
復元されたマーラン船 | うるま市立海の文化資料館展示のマーラン船 | うるま市立海の文化資料館発刊の書籍 |
沖縄の船(舟)といえば先ず「サバニ舟」を思い浮かべますが、沖縄では通称「山原(やんばる)船」と呼ばれ、 材木や炭、黒糖などの生活資材を運んでいた、エンジンを使わず風力だけで帆走するマーラン船が復元されました。 この沖縄特有の木造船「マーラン船」はうるま市の船大工・越来治喜さんとその弟子たちが小型の全長10メートルの船を 約半年かけて製作し、復元しました。 また、うるま市立海の文化資料館では越来治喜さんたちの復元船やサバニ舟が展示されています。沖縄の船に関心の ある方はぜひ「うるま市立海の文化資料館」をご訪問ください。船の資料も何点か発行されています。 (沖縄タイムス 6月3日号より部分転載) |
再開館されたサン・ファン館を見学してきました...
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)が2013年11月3日に東日本大震災から復興し、再開館されました。
このミュージアムにはサン・ファン・バウティスタ号の1/38の模型が展示されていますが、この模型は平成4年(1992年)に復元船の建造に先行して、不二美術模型が模型製作を請け負い、パーツ製作やリギングなどそのお手伝いをマイ・シップ・クラブのメンバーが行いました。 サン・ファン館の開館当時は復元船横のドック棟に展示されていました。東日本大震災発生時の津波被害で失われたものと思っていました。
2014年3月19日に再開館なったサン・ファン館に再訪問すると、損傷した痛ましい姿のこの模型が展示されていました。損傷の程度も津波の甚大な被害状況を考えると、よくぞこの程度で済んだものだと感激しました。
このミュージアムにはサン・ファン・バウティスタ号の1/38の模型が展示されていますが、この模型は平成4年(1992年)に復元船の建造に先行して、不二美術模型が模型製作を請け負い、パーツ製作やリギングなどそのお手伝いをマイ・シップ・クラブのメンバーが行いました。 サン・ファン館の開館当時は復元船横のドック棟に展示されていました。東日本大震災発生時の津波被害で失われたものと思っていました。
2014年3月19日に再開館なったサン・ファン館に再訪問すると、損傷した痛ましい姿のこの模型が展示されていました。損傷の程度も津波の甚大な被害状況を考えると、よくぞこの程度で済んだものだと感激しました。
奇跡的に残ったサン・ファン・バウティスタ号の1/38の模型 |
東京都内で見ることのできる保存帆船が東京海洋大学キャンパスに2隻あります。どちらも日本の海事史で史料的価値の高い船ですので、帆船に興味ある方はぜひご見学ください。
越中島キャンパス(海洋工学部)、品川キャンパス(海洋科学部)とも駅から徒歩で行けるところにあり、アクセスは便利です。ただし、明治丸については現在補修工事中で公開が中止されていますが、2015年には工事完了の予定のようです。
越中島キャンパス(海洋工学部)、品川キャンパス(海洋科学部)とも駅から徒歩で行けるところにあり、アクセスは便利です。ただし、明治丸については現在補修工事中で公開が中止されていますが、2015年には工事完了の予定のようです。
明治丸 《東京海洋大学 越中島キャンパス》 | |
明治丸は、明治7年(1874年)イギリス・グラスゴーで建造された鉄船としては最古の洋式船です。全長約86メートル、総トン数1,027トンで補助帆走用の3本のマストを備えています。最初は灯台視察船としての業務を行っていましたが、当時の最優秀船であったため皇室の御召船としても使用され、明治天皇の奥羽巡幸の帰途、函館から乗船されて7月20日に横浜に帰着したこの日を記念して国民の祝日「海の日」が制定されました。明治丸はおよそ20年間灯台視察船として活躍し、その後、商船学校に譲渡され、係留練習船として海の若人の運用教育実習にあたりました。 | |
越中島キャンパスへの交通アクセス = JR線京葉線・武蔵野線 越中島駅(各駅停車のみ)から徒歩約2分 | |
雲鷹丸 《東京海洋大学 品川キャンパス》 | |
雲鷹丸は、明治42年(1909年)に日本で建造されたバーク型帆船です。研究練習船として明治42年から約20年間にわたり、捕鯨実習をはじめとして、漁業調査、学生実習、漁撈技術・漁具開発等に多くの貢献をし、また船上でのカニ缶詰製造に成功して、後の大型蟹工船の先駆けとなりました。昭和37年(1962年)に現在地に移設されました。 | |
品川キャンパスへの交通アクセス = JR線・京浜急行線 品川駅港南口(東口)から徒歩約10分 |